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2000.03.27 ヨーロッパ初上陸!イタリア周遊の旅C
 バジェットトラベルの実践記録を写真と日記で紹介します
BudgetTraveler's WORLD
コストパフォーマンス重視の個人旅行




香港暮らしも丸二年をむかえ、海外旅行が楽しくなってきた。
さあ、今回はヨーロッパ初上陸。
オットリーノ・レスピーギの代表作、ローマ三部作の舞台を訪れる、
イタリア周遊旅行に出発だ!




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2000年3月31日(金) 続き
初めての夜行列車。それも、寝台ではなく、普通座席。そして、外国。言葉は通じない。ひえ〜〜〜!! 今更ながらに大それた計画を立てたものだとちょっぴり後悔した。
まずは、腹は減っては戦は出来ぬなので、セルフサービスのカフェテリアで晩御飯を。前回のカフェ利用で、いくつか学習した事項があった。
・ビールを先に取ると、料理を選んでいるうちに温くなる。(これは、私が優柔不断なせいでもある。)
・サラダは、ドレッシングがない。(サービスであるのはオリーブオイルだけ。)
・別に、サラダからデザートまでフルコースでチョイスする必要はない。
これをもとに、まずはメインディッシュを決めようと、グリルのコーナーでサーモンのソテーを選ぶ。レモンを絞っただけのシンプルな味付けだったが、とっても美味。プリマはマカロニグラタン。サラダはサラダバー形式(っていっても5種類くらいしかないけど)でトマトばっかりのせた。それにビールをのっけて、21800リラと自分ではかなり奮発。サラダは、年をとるにつれ好きになってきたので、サウザンアイランドとか置いといてくれたら、どっさり食べたのに。ってかんじ。
トイレをすませ、スーパーへ行ってヨーグルトドリンクとマドレーヌ(朝食用)を買う。10時過ぎにはホームに戻ったが、 まだ列車は入線していないようだった。隣のホームにはミュンヘン行きの夜行列車が止まっていたので、下見がてら覗きに行った。
ひ、ひえ〜〜〜!! なんか車内は真っ暗で、車体も古ぼけている(国際列車なのに!!)。そして、みんな窓から顔をだしておしゃべりをしたり、売り子から水などを買ったりしている。
ひ、ひえ〜〜〜!! 自分も、今からあの空間に入っていくの??? ドキドキドキ・・・・。

そして、夜10時20分。私の乗るミラノ行き夜行列車が入線した。これからのことになぜか心臓がバクバク言っているのがわかる。緊張している。列車は、さっき見学したミュンヘン行きよりは幾分きれい目だった。
すぐに列車に乗り込み、座席指定をした自分の席を探す。1両は定員6人のコンパートメントが10室くらいあり、座席指定をしている人は、私を含めて2、3人だった。自分の席を見つけて、コンパートメントに入り込む。暗い。電気を点ける。でも、電気を点けてしまうと、外から中が丸見えになってしまう。 結局電気は消し、入口のカーテンも閉め、いかにも「この部屋は埋まってま〜す!!」って感じを演出するべく、息を潜めてじっとしていた。そして、祈る。誰も入ってきませんように・・・・と。
しばらくして、2人組みが私のコンパートメントに入ってきた。仕方ないか。と思って荷物を自分の脇によせ、窓側2席を自分の席とし、中央と通路側の4席をゆずった。旅行者と思われる彼らは、「HOT! HOT!」とか言って、窓を開け、上着を脱いだ。そして、しばらくして、何か2人で話をしたと思ったら、 荷物をまとめて部屋から出ていってしまった。どうやら、2等車両と間違えて、1等車両に乗ってしまったようだった。
彼らのおかげかどうかは分からないが、ローマ・テルミニ駅を列車が出発する時、コンパートメントの乗客は、めでたく私1人だった。列車は音もなく動き出し、ローマの街に別れを告げる。部屋の電気を点けると、外の景色が見えなくなってしまうので、やっぱり電気は消したままだった。
途中2つほど駅に停まったが、乗客はみな通路を素通りするだけで、私のコンパートメントの中を覗こうとする人はいなかった。外国人旅行者でもない限り、1等車両のそれも座席車両にのろうなんて人はいないのだろう。 さらにしばらくして、検札がやってきた。私はパスをみせ、挨拶をする。検札が終われば、もうだれも来ないだろうと、私は、三人席の肘掛けを上にあげ、横になって眠ることにした。
どうせ緊張して眠れないだろうけど、横になって疲れだけはとっておこうと思った数分後、私は深い眠りについていた。

 
2000年4月1日(土)
明るい駅に停まったところで、目が覚めた。3時50分。ボローニャ駅だった。こんな深夜だというのに、ホームにはけっこう人の動きが見え、BARも開いていた。 寝起きで、ボーっとしていると、ドヤドヤと2人の青年(あんちゃん!?)が乗り込んできた。計算違いだー。こんな時間に停車しても、誰も乗ってこないだろうと 思ってたのにー。ま、仕方ないか。今までラッキーだったと思おう。 あんちゃん達が何か言っているが分かるはずもなく、ただただSORRYと繰り返すと、"Are you Japanese?"と聞いてきた。イエスと答えると、笑顔になって、 「はじめまして!」と握手を求めてきた。もちろん日本語で。でも、どうやら彼の知っている日本語はそれだけのようで、その後会話は続かなかった。
1室に3人になったことで、3人席を占領して横になることができなくなってしまった。 それに、あんちゃんは、携帯電話で話をしている。それも、何ミリオンリラとか、なんか景気のいいこと言っている。どうやら偉い人とその付き人のようだ。(パッと見は友達同士にしか見えなかったが) もしかして、ヤバい人?とか思ったけど、金持ちだったら、寝台車両に乗るだろうと、勝手な理由で安心した。でも、座った状態で、それもやや緊張している状態で、眠れないな〜と思っていたら、肩をたたかれた。 振り返ると、彼らは、座席を引き出して、平らなベッド状にしていた。えっ?? これって、そんな風に動くの? 感激!! って、旅慣れた人たちと同室になったおかげで、私はこの時以降、フラットな状態で眠ることが出来るようになった。(感謝!!)
   

午前6時過ぎ、ミラノ中央駅に静かに列車は到着した。(着いたのに、気付かなかった!!)あんちゃんたち2人はさっさと身支度をして出ていった。わたしも荷物をまとめて出ていった。
今日はミラノ→ドモドッソラ→ロカルノ→ドモドッソラ→ミラノと、1日の半分以上を列車の中で過ごすことになる。昨日まで歩いての観光ばっかりだったので、ちょうど良い休息日だと思った。ドモドッソラ行きの列車の出発までまだ少し時間があるので、駅の構内を 散歩するも、朝食を取るようなところは開いてなかった。仕方なくBARでカプチーノを飲み、昨日テルミニ駅で買ったマドレーヌを食べた。

7時30分発のインターラピットに乗車。朝早いだけあって、1等車両にいるのは私の他には鉄道職員が1人乗っているだけだった。 ミラノの街はさほど大きくないらしく、車窓はすぐに田園風景に変わった。
1時間ほど車窓を楽しんでいると、右手に湖が見えてきた。マッジョーレ湖だ。川を渡り、右手に広がる湖の向こうには、ようやくスイスアルプスが顔を出し始めた。 アローナの駅をすぎ、しばらくしてストレーザの駅についた。朝早いというのに、駅にはかなりの数の旅行者であふれていた。 すると、同じ車両にのっていた乗務員が、私に話し掛けてきた。
「ストレーザに着いたぞ。お前は、ここで降りるんじゃないのか。」
私は、自分の目的地がドモドッソラであることを告げる。おっさんは少し不思議そうな顔をしながら、(なんでそんなところへ行くの?ってかんじで)もう一度 自分の席についたようだった。そこからは、右をみても左を見ても、田園風景の向こうにアルプスがそびえる、素敵な車窓が続いた。ストレーザからドモドッソラまでの40分間はあっという間だった。

ドモドッソラの駅前は、静かな地方の町といった感じだった。ここからは南アルプス鉄道に乗り換え、チェント渓谷を越えて、スイスに入るのだ。
地下のホームへ向かうと、窓口があり、切符を買う。ロカルノまで往復で、32000リラは、高いか、安いか!?
電車の出発までまだ時間があることを確認し、駅のBARに戻って、遅い朝食を取ることに。小さなピザを2000リラで買って食べる。冷めてしまっていたけど、なかなか美味しかった。

電車は、路面電車のような小さ目サイズだが、しっかり1等車と2等車があり、1等車の方は、団体客が大勢いた。
私は一人で2等車両に乗り込み、あれこれ考えた挙げ句、南側の席につく。
    
電車はほぼ満席になって出発。はじめはのどかな田園風景の中を走っていたが、すぐに山を登り始める。
大きくカーブしながら蛇行したり、スイッチバックをしたりしながら、高度をぐんぐん上げる。出発してから20分ほどたったころ、山の北側の斜面に残雪が残る風景に出くわした。
外はかなりの寒さらしく、窓ガラスがどんどん曇っていく。長袖2枚しか着ていない(もちろん、上着なんて持っていない)のに、平気なんだろうか!? と、ちょっぴり不安になる。列車はぐんぐん高度を上げ、谷はどんどん深くなり、雪解け水が、滝になって景観を作り出している。それにしても、向かいのオヤジは、さっきから居眠りしたまんま。こんな素敵な景色を見ないなんて、もったいない…。それとも、もう見飽きているのか!? う〜ん、羨ましい。

出発から50分後、長いトンネルを抜けると、景色が一新。いままで生い茂っていた落葉樹が、常緑樹にかわり、日差しは強く、付近の雪は見えなくなっていった。高度を少しずつ下げ始めているのか、北側の斜面にも残雪は見当たらない。
立て続けにトンネルをくぐり、やっとはじめて駅に停車した。(今まで駅がなかったのではなく、快速のような列車に乗ったため。)
乗客が乗ってくるのかと思ったら、パスポートチェックだった。そう、ここはイタリアとスイスの国境の駅だったのだ。でも、パスポートチェックといっても、パスポートを持っているかどうかをチェックする程度で、みな表紙しか見せていないようだった。
その間、たった2〜3分の停車時間だったが、開けっぱなしのドアから冷気が入り込み、足元が寒くなった。
列車は再び走り出し、スイスに入国。それと共に、車窓の眺めも今までの渓谷美から、豊かな水を湛えた川の流れへと変化していった。
トンネルをくぐるたびに、景色が少しずつ変わっていくのが何とも楽しい。今度は、ダムが見えた。次は対岸にポツリと民家が。その民家から張られている電線は、物資輸送用のロープウェイに早変わりするようだった。でも、人はどうやって移動する!? やっぱり不思議な光景だ。
前方の風景が少しずつひらけ、マッジョーレ湖の湖畔に広がる街、ロカルノが見えてきた。
鉄道は最後に地下へ潜り、ロカルノ駅に到着した。1時間50分の行程だった。
地下の駅から地上に上がると、抜けるような青空が広がった。普通は、イタリアからアルプスを越えてスイスに渡ると、空がどんよりするということを聞くが、全く反対の光景だった。
   

その街はとてものどかで、軽井沢や山中湖のような、避暑地のような、リゾート地のような雰囲気を持っていた。
ここで、1つ問題が浮上してきた。ややお腹が減っているのだが、私はスイスフランを持ち合わせていない。そして今日は土曜日。開いている銀行はあるのか!? と、しばらく街をぶらつきながら探すが、見つけられず。
ふと見たジェラテリアでは、スイスフランとイタリアリラの代金が併記してあった。・・・これは、もしかしてイタリアリラがそのまま使えるかも!?
1軒目のお店はNO。 やっぱり駄目? と思ったが、目の前にマクドナルド。ここなら平気だろう! ということで、マクドナルドで昼食をとることに。ま、滞在中1度はヨーロッパのマクドナルドを食したいと思っていたから、ちょうどよい機会だ。
店に入り、カウンターで、イタリアリラが使えるか、尋ねた。は? どうやら、あまり英語が通じないようだ。 スイスって、英語通じないの?? イタリアでは、お店で英語を使って困ることなんてなかったのに。(ま、自分が言いたいこと言えなくて困るってことはしょっちゅうだけど。)
仕方がないので、財布からリラを取り出し、ジェスチャー作戦。オッケー、通じた。
9.9フランのセットを注文する。レジのお姉ちゃんは、変換キーみたいなものを押して、通貨を変換させていた。表示がリラに変わった。15000リラ支払う。おつりがリラで表示される。それをまた通貨変換キーで、スイスフランに戻す。そして、フランでおつりをもらった。

そのマクドナルドの味はよく覚えていない。多分、もう食べなくていいやって思ったんだと思う。
ロカルノの街を散策した。背後には山が聳え立ち、ケーブルカーが市民の足として走っている。バスもなんかかわいいし、デパートの店員もなぜか陽気だ。町全体に観光客に対する包容力のようなものがあり、多分、普通の人とは違う角度からスイスが見えた気がした。
   
マッジョーレ湖の湖畔へ行くと、フェリー乗り場があった。本数は少ないものの、湖畔の各地へ船が出ている。
あっ。ストレーザ行きのフェリーもある。(ただし、午前のみ。)ちっ。同じ道を往復するんじゃなくて、片道をフェリーにするんだった。失敗失敗。
明るいうちにミラノまで戻りたいので、当初の予定よりも1時間前の電車にのるべく、駅へ戻る。
白髪のおばあさんが大きな荷物を抱えて階段を降りていたので、荷物を持ってあげる。(おおっ。僕って、親切ジャン!?)
帰りは、同じ行程だったこともあり、道中半分ほど寝てしまった。もったいない。帰りの国境では、イタリア入国に際し、パスポートにスタンプを押された。フランスからイタリアへ飛行機で入国したときには、何も押されなかったし、さっきイタリアからスイスへ出るときも何にもなかったのに、何で今回だけスタンプを押す? と疑問に思った。でも、パスポートのスタンプをよく見てみると、 フランスで押してもらったスタンプと似ているんだけど、そのときは飛行機の絵だった部分が、今度は電車の絵になっていた。ちょっと得した気分。
ドモドッソラの駅に着くと、さっきのおばあさんがまた大きな荷物を抱えて四苦八苦していたので、荷物を持ってあげ、次の列車のホームまで案内してあげた。(すでに地元気取り!!)すると、予期せずおばあさんは、僕にチップを差し出した。いらないと断ったが、無理矢理胸のポケットに入れられてしまった。「10」と記載されたそのお札は、どこの国の紙幣か、どれほどの価値があるのか、まったく分からなかったが、大切にしようと心に決めた。

午後4時過ぎ、ミラノ駅に着く。思えば、昨日の夜10時から、ほとんど電車に乗りっぱなしだった。しかし、ちっとも飽きることなく、途中昼寝もできてエネルギーも充電でき、楽しい一日だった。
ミラノ駅では、ホテルに向かう前に明日のベネチアへ向かうICを予約することした。今回の旅行中、何度となく座席指定をするかどうか悩んだが、 ガイドブックなどのコメントは、概して当てにならなかった。1つだけ分かったことは、座席の保証がなくてもいいなら、ES以外は予約は要らないということ。でも、ローマ・ナポリ間の ICは満席だったし、いろいろトラブルがありそうなので、ベネチアまでの3時間乗るICは予約することにした。5800リラは惜しかったが、安全を選んだ。
まず、当日の座席指定の切符売場と、座席予約専用の窓口が異なることをローマやナポリで学習していたので、その専用窓口を探した。少し探して見つかったが、窓口に列はなく、待合室のような雰囲気。脇の壁を見ると、電光掲示板。 そうか、ここは郵便局や銀行のような予約チケット制なんだと確認し、予約番号をGETすべく、またその部屋を探しまくり、やっと入口付近で見つける。(と、ここまで随分時間がかかったが、あとでガイドブックを見たら、全部ちゃんとに書いてあった。)
20人ほど待っているようだったので、小腹を満たすために、駅構内の売店でパニーニを買う。6000リラもするくせに、大して美味しくない。やっぱり、北へ行くほど物価が高くなるというのは、本当か!? ミラノに着いて僅か10分で、物価の高さを実感してしまった。一度窓口へ戻ったが、まだ時間が有りそうなので、次は銀行を探すことに。
私の手持ちの金は、約60万リラ。その中にある、50万リラ札が厄介もので、普通の店では受け取ってもらえそうにない。(別に、試してみて断られた訳でもないのに、ローマの本屋でいやな顔されてから、普通の店で出せずにいた。)ところが、駅で開いている銀行は見つからなかった。(っていうか、土曜日の夕方だから、閉まっていて当たり前なんだけど。) あと10万リラ(約6000円)で、あと2日を過ごせるのだろうか!? すこし不安だ。
ICの予約はあっさり取れ、地下鉄でホテルに向かう。ミラノのホテルは、中心地から少し離れたところに取った。といっても、地下鉄で10分ほどだから、大して問題ないだろうと。そして、ミラノの都市交通はうれしいことに、1日券が、1日有効ではなく、24時間有効なので、夕方4時にミラノについて、翌朝11時にベネチアへ向かって発ってしまう私には、ちょうどよかった。 普通の人は、ミラノにゆっくり滞在するんだろうけど、ブランドショッピングに興味はないし、ガイドブックを見て、興味を抱いたのは、中心地にあるドゥオーモくらいだったので、そんなに滞在時間はいらないだろうという判断だった。(後日談:私の判断は、間違っていなかったと思う。でも、最後の晩餐くらい見ておくべきだったか?とちょっと後悔。)
 
地下鉄を降り、「駅から徒歩3分」をいいことに、ホテルのMAPを持っていないことに気付く。でも、もう遅い。カンを頼りに、地上にで、ホテルの看板を探す。ま、それは探す間もなく、大通りの反対側にすぐに見つかった。小奇麗な郊外型のホテルで、大駐車場もあり、裏にはスーパーマーケットもあり、モーテルっぽいが、いい感じだった。ベストウエスタンホテルの系列だった。
部屋は907号室。おっ、9階か? と思ったが、9は別館という意味で、9階ではなく2階の部屋に通された。ちぇっ! 部屋に入ると、まず風呂をチェック。バスタブがあることに一安心。明日からは、電車で2連泊なので、今日はぜひともお風呂につかりたかったのだ。
早速風呂に入り、荷物の整理をして、小奇麗になったところで地下鉄で中心地へ向かう。別にブランドショップに興味はなかったが、一応ウインドウショッピングだけでもと思い、ドゥオモ駅の1つ前のサン・バビラ駅でおり、モンテ・ナポレオーネのブランド街をあるきながら、ドゥオモのある中心街へ向かった。ガッレリアを通過し、(あ、ナポリと同じような感じだ・・・。)ドゥオモ広場を一周する。角にあったバールに立ち寄り、ビールで喉を潤し、ガッレリアの中にあったメルセデスベンツの店でしばし時を過ごす。
その後、この街にはやはり「観光」するところはないと判断し、街を歩いたり、本屋を覗いたりして街歩きを楽しんだ。夜ご飯はチャオでとった。今回はパスタではなくリゾットにし(シンプルだけど美味かった。)、サラダの変わりにフルーツ盛り合わせにした(これはあんまり美味でなかった。)。

帰りがけ、中央駅のショッピングセンターで買い物をする。そういえば、旅行が始まってこれまでひげをそっていなかった。荷物をできるだけ減らすため、剃刀は持ってこなかったのだ。ここで使い捨て剃刀を買おうとしたが、高いのでやめた。ビールとヨーグルトを買った。(スプーンをもらうのを忘れた。)
そして、地下鉄で帰ろうとホームに降りると、なんか騒がしい。よくみると、向かいのホームで黒人たちが乱闘騒ぎを起こしていた。
ひえ〜〜っ。 ちょ〜恐っ。
はやくホテルに帰りた〜い、と心の底から思いながらも、記念すべきこのシーンをデジカメで撮影するかどうか悩んだ。(もちろん、そんな勇気はあるはずもなく、ただただ、おびえていた。)
ホテルの部屋に戻り、もう一度風呂に入る。テレビのガイドには、日本語のテレビ放送があるなんて書いてあったけど、そんなものはなかった。期待して損した。テレビはもっぱらイタリア語だった。今日は別に疲れたわけでもなかったけど、ふかふかのベッドに吸い込まれるように眠りに落ちた。
 
2000年4月2日(日)
本日の午前中は、11時5分発の電車に乗るので、それまでにドゥオモの展望台に上っておく予定だ。したがって朝は結構ゆっくりできた。
7時45分起床。風呂に入って朝食をとりに地下のカフェへ。主食はパンケーキで、洋なしの缶詰が美味しかったが、チーズはまずかった。今までのホテルにもヨーグルトはあったが、ここで初めてプレーンヨーグルトに出会った。あまったるいフルーツヨーグルトよ、さらば!!
イタリアでの最後のホテル滞在なので、ゆっくりしつつ、荷物をコンパクトにし、今晩からの車中2連泊にそなえ、9時過ぎにホテルをチェックアウトした。
地下鉄でドゥオモへ向かい、昨日は閉ざされていた内部に入る。ステンドグラスがいかにも手作りって感じで素敵だった。まあ、タダだったらちょっと得したかな。でも、ガイドブックにあった、展望台へ上るエレベーター(階段っていう手もある)が工事中だったのは残念だ。
時間が少し余ってしまったので、街をぶらつきつつ早めに中央駅へ。これから3時間電車に乗るので、昼食(フライドチキンのはさまったパニーニ)を買って電車に乗り込む。と思ったが、30分前にもかかわらず目的の電車はまだ入線していなかった。結局出発10分前になってやっと乗り込むことができた。車内は僕の好きなオープンサロン形式でラッキー。僕の席の向かいにはおばさんが座っていて、僕の座席に荷物を置いていたのでどかしてもらった。自分の背もたれの部分に、座席指定の札がないことに気になりながらも、気分は初めてのICの旅、そして目的地のヴェネチアへ飛んでいた。
出発の時刻になって、隣の席でもめ事が起こった。座席指定の札がなかったので自由席だと思った人が座っていたところに、座席指定券をもった老夫婦がやってきたのだった。
先に座っていたのは中年の夫婦だったが、「ここは、座席指定の札がないから、自由席よ! あなたが指定券もってたって、ここに札がないんだから関係ないでしょ!」みたいな感じで、老夫婦はあしらわれていた。(まあ、イタリア国鉄の怠慢なんだけど)老夫婦は乗務員を呼び、説得してもらうことにした。それでも中年の夫婦は動こうとしない。(まあ、国鉄の怠慢っていうかミスだから強く出れないのかもしれない。)
結局この騒ぎは、近くの駅に停まり、別の空席ができたことで落着した。

そんなことに気をとられていたら、いつのまにか寝ていて、気がついたら海の上(正確には砂州の上)を電車が走っていた。ヴェネチアに着こうとしていた。
列車を降り、駅構内を出る前に、今晩のる夜行列車のチェックをした。駅にはちゃんと車両案内図があり、一等座席車両をさがす。何せ、今日は予約なし。すいてますように…。と半ば願う気持ちで駅を後にした。

駅前がちょうどヴァポレット(水上バス)の乗り場になっていて、そこで一日券を買う。え!? 18000リラ!? 高すぎー。 超観光地プライスじゃん。 その分、楽しませてくれよー!! って感じで船に乗った。
乗り場はそれがバスの乗り場であるかのように路線番号が掲げられており、ちょっと楽しんだが、船自体はただのフェリーだった。まず、運河の水の汚さに閉口。さすがに運河にかかる橋周辺は絵になってたのしかったけど、そんなに1日券のもとをとるだけ乗ろうとも思わないシロモノだった。
   

まず、僕が目指したのはサンマルコ広場。広場は、街の中心地だけあって、多くの観光客であふれかえっていた。サルティンバンコかと思わせるカラフルとんがり帽子が売ってるかと思えば、偽ブランドのバッグも売っていた。もちろん売り子はチャイニーズ。さすが。
余りにいろんな人がいるんで、マンウォッチングを楽しんだ。フェンディのサングラスかけておばちゃんはゴージャスなのにおっさんはいたって質素な夫婦、ビデオカメラは2台に1台はSONY製だった。そういえば、テレビでプレステのCMもやっていたなあ。世界のSONYだ。そんな観察を楽しんだり、行き先を見ずにヴァポレットに乗り込んだり、ぶらぶらした。腹が減ったところで適当にサンドイッチを買って食べ、こんどは陸歩きを楽しむことにした。
きちんとメインストリートのようなもの(観光客がひっきりなしに歩いてるだけ)もあり、人の流れにそって路地を行くと、運河にかかる橋にところどころ遭遇した。
そして、そんな「ストリート」と呼べるには最初のうちだけで、あとはほとんど路地。路地裏を歩いているのか、人んちの軒先なのか良く分からない。でも、不思議と看板はたくさんあるので迷わない。ぼくは水上からこの街を観察するより、ころ袋小路のような路地を歩いてまわるほうが楽しかった。 真っ黒のゴンドラが並んでいたり、露店にNAKATAやNANAMIのユニフォームがうっていたり、「おもちゃ箱をひっくり返したような」路地が多かった。

1時間以上歩いただろうか。ローマ広場に戻ってきたときにはもう日が落ちかけていて、運河のライトアップが始まっていた。
そこで感じたのは、「ヴァポレットは遅い!!」ということ。ローマ広場からサンマルコ広場まで30分以上かかっている。せっかく日没の時間を選んでヴァポレットにのったのに、サンマルコ広場に着いたときには(って、結局見過ごして乗り過ごしたんだけど)辺りは真っ暗だった。
結局リド島まで片道1時間。とんぼ返りで往復2時間ヴァポレットに乗り続けてしまった。
駅に戻ってきたときには9時をまわっており、「夕食をとろう!!」と思ったら、レストランは9時20分までだった。なんでじゃい。
結局、さっきスーパーマーケットで「明日の朝食用に」と買っておいたものを食べ、カプチーノだけをカウンターで注文。やっぱり日本人観光客も多いらしく、お金を払ったら店員に「おおきに!」とかいわれた。

今晩私が一夜を過ごす列車は、発車の30分前にやってきた。乗る予定の1等座席車両は13両目なので、車両の数を数えながら進んでいくと・・・あれ? 8両しかない。 どこに乗ったらいいのやら・・・? と思っていると、後から5両くらいの列車がやってきてドッキングした。
結局私は「13号車」には乗ったが、それは前から13両目ではなく、ドアに「13号車」って書いてあるだけだった。
始発のヴェネチア駅を出発するこの列車の、1等座席車両に乗っているのは、コンパートメントが8室あるにもかかわらず、私を含めてわずかに2人だった。
早速、椅子を引き出してフラットにし、寝る体制万全! っと思ったが、この車両は暖房の効きが弱く、隙間風が寒かった。




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